先日12月13日はバッハのテンペラメント(音律)の謎について音楽塾にて藤枝さんに色々とお話していただきました。古代エジプトの迷が次々と解明していくかのような・・・この興味深いワークショックに魅了された方も少なくはなかったと思います。わたしもそのひとりでした。この事実を知った時は大分前になりますが、そのときは自分の無知さ、歴史の奥深さに驚愕しました。そりゃ、そうですよね。わたしの音楽家の友人でさえ、一般的な「平均律」の解釈について未だ、誤解しています。そもそも平均律とは具体的には何を示すのか。楽器を作る方でない限り、専門的な音律学の知識は学ぶに至らないでしょう。日本で学ぶ音楽史にも殆ど触れられていない内容だと思います。だからこそ、知る人ぞ知る!意表をつかれた特別な会になったと私は思っています。みなさん、お疲れ様でした。

今回演奏させていただいた藤枝さんの初期の80年代の作品は実はそのバッハにも関係性がある作品でありました。オンラインでご拝聴いただいた方は、比較的流動的な、自然な作品だったね、と・・・・良い意味で期待外れのフィードバックをいただきましたが、演奏する方はカウントするのにただただ全力投球。必死で頭が痛くなりました。(笑)楽譜も図形楽譜のようで、4分音符が4つの4分の4。ここまではあくまでもスタンダードな感じ。それが更に16分割されていました。そして、それらの音はふいに予想をしないタイミングで落ちてくるのです。ふいをつかれるとは正にこのことをいうのかしら。言い換えると、いかにも「自然的」でした。人工的に作られたものを模倣するのは比較的可能性を有しますが、自然の万物を模倣するのは至難の業です。藤枝さんただものでないな!しかも、この作品はバッハのとある作品の音を逆行に再配列した作品とのこと。わたしもアメリカ時代から尊敬しているミニマリズムの巨匠Sol Lewittのthe begin at the beggining, the end at the end, the beginning at the end, the end at the begginingをタイトルに引用したということで、演奏にも熱が入りました。

各音符が小節という限定された「枠」に縛られずに、泊間を自由に行き来する。これらの音は、始まりという役割も担っていると同時に、終わりでもあり、また、終わりにおいての始まりでもあり、始まりにおいての始まりでもありました。哲学的。そして、その解釈は人それぞれ。実に興味深い。

ワークショックは2時間半話し続けてもまだまだ終わることなく、やっとここから面白くなっていくぞというところで今回は惜しくもタイムオーバーとなりました。これは年明け1月の第4回目のジョン・ケージ!で挽回しろとのことでしょうか?(わたしじゃないけど、藤枝さん是非お願いします)わたしも色々と企画が進んできましたので、今年動けなかった分、来年はエネルギーを行動に変きます。では、またね。

あ、テリーのIN Cに参加したい方はぜひとも!25日19:30より楽器初心者ウェルカムです。わたしも行くかも!?!?

今年のクリスマスは生徒さんにいただいた可愛いリースでレッスンできそうです。

have a happy merry xmas and a happy new Earrrrr!!

↑このへんてこりん、微妙なわたしの姿そろそろ変えたい!(変え方がわからないっ)